グレート・マザーとの対決
ユング心理学の中に、
「母親殺し」というドぎつい表現が出てきます。
「えっ、ユングって少年犯罪の心理にも詳しいの?」
…と誤解してしまう方もいらっしゃるかもしれませんよね(笑)。
ユングの言う「母親殺し」は、あくまでも“たとえ”。
実際に母親を殺すわけではありません。
母親殺しが象徴しているのは、人間の「心理的な成長」、
つまり、母親殺し=母離れということになりますね。
人間が心理的に成長していくプロセスにおいて、
一人前になるためにどうしても克服しなければならないテーマを、
ユングは「母殺し」言い方で表現したのです。
このテーマは、実は、世界各国の神話や民話にも登場するエピソード。
後述しますが、日本に伝わる伝承にも、
この“母親殺し”に相当するエピソードが登場します。
それにしてもなぜ、克服すべきテーマを母親になぞらえるのか?
それは、ユングが唱えた「元型論」の
「グレードマザー=太母」が持つ意味に起因しています。
このグレートマザーは、
「無条件で愛を与え、守ってくれる」「受け入れてくれる」…といった
一般的に言われる“母親”のイメージの他に、
「束縛する」「飲み込んでしまう」
といったネガティブなイメージも内包しています。
確かに、母親って、口うるさいところがありますし、ともすれば
過干渉で子どもの可能性をつぶしてしまう存在でもありますからね(汗)
そのため、このグレートマザー=母親と対決をして、
それに勝つ、殺してしまうことが求められるというわけ。
それで初めて「一人前になれる」ということです。
日本人は“母親殺し”が難しい?
前述した通り、日本に伝わる伝承にも、
ユングが言うところの「母親殺し」のエピソードは登場しています。
最もポピュラーなのは、
素戔鳴尊(スサノオノミコト)の八岐大蛇退治。
素戔鳴尊は、八岐大蛇を退治して、
奇稲田姫(くしなだひめ)を救いました。
そして、大蛇の尾から草薙剣(三種の神器)を奪ったのです。
…と、ここまでは、
「素戔鳴尊が男として一人前になるためのエピソードなのね」
「これが、ユングの言う“母親殺し”なんだな」
と、納得しながら読めるのですが、問題はここからです。
彼は、せっかく手に入れた草薙の剣を、
姉である天照大神に献上してしまいます。
“支配者”になるために
「なくてはならないアイテム」であるにも関わらず、です!
しかも、献上した相手、天照大神は、
自分の“母親代理”とも言える存在。
つまり、母離れが完全にはできていなかったということですね(苦笑)
この伝承のエピソードも踏まえ、
ユング心理学の権威である河合隼雄先生は、
「日本の男はみんな永遠の少年だ」
とおっしゃっています。
つまり、いつまでも“母親殺し”ができない
=母離れができない=精神的に一人前になれない!
みなさんの周りにも、いわゆる“マザコン”が多いのでは(笑)?
「父親殺し」との比較
さて、母親殺しは
「成長に不可欠なプロセス」「母離れ」を意味するわけですが、
では、“父親殺し”はどのような意味があるのでしょうか。
これは、ユングよりも
ノイマン(ジョン・フォン・ノイマン。ユング派の心理学者)の
考え方を紹介したほうが分かりやすいでしょう。
ノイマンによれば、
「母殺し」と「父殺し」とでは意味が異なるのだとか。
「母殺し」は太母からの自我の自立を、一方の「父殺し」は、
古い文化を否定して新しい文化を創造する心の働きを
意味しているのだと言います。
確かに、父親や“父性”は古い慣習や伝統、
文化を象徴するものでもありますから、こういった古いものを
打ち破って新しいものを作るという意味で捉えられるのは
あながち不思議な話ではありません。
ちなみに、ユングによれば、「母親殺し」や「父親殺し」は
愛の挫折や愛の倒錯から生まれるのではないとのこと。
つまり、個人的な感情云々から生ずるエピソードではなく、
「より元型的な心のメカニズム」、
誰もが通る道として捉えられています。
ですから、
「うちの子が私に対して攻撃的なのは、育て方が悪かったからだ」
と自分を責める必要はありません。
子どもは自分自身の“内的な成長”ゆえに、必然的な傾向として
母親から自立していこうとするものなのです。
親としては、むしろ喜ぶべきことなのではないでしょうか!