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「タオ」とは?

東洋思想との比較対象として、よく、ユング心理学が挙げられます。
特に、東洋思想(中国哲学)の「タオ」の考え方と

ユングが提唱した「シンクロニシティー(共時性)」には
重なる部分が多いのだとか。

 

タオとは、正式には「道」=みちのこと。
読んで字のごとく、「人や物が通るところ」。

宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、
分かりやすく言うと、

「真実の根元」「天地を含む全て」を表す言葉であり、
本来は「名づけることのできないもの」、

全てを超越したものなのだといいます。

 

タオの考え方は、中国の哲学者、老子が説いたもの。
老子が説いた教えに、「無為自然」という考え方がありますが、

これは、「大自然の中に自分自身の内面を映し出して学び、
自然と調和する」ということ。

“あるがまま”、本来の姿を受け入れることの大切さを説いています。

 

老子の思想をざっくりと要約すると…、

 

「人間も自然の一部であるということを重んじ、
自然の摂理法則に沿った行動、心の持ち方を身につけることが

人間本来の生き方である」

ユングと東洋思想の共通点

東洋思想について説明する際に取り上げられることわざに、
次のようなフレーズがあります。

 

「弟子に心の準備が出来た時、丁度、師匠がやってくる」

 

これは、人間の“内なる世界=心の中”と
外なる世界=外界とが繋がっていることを表しているわけですが、

これは、まさに、ユングの言う「共時性」と類似していますよね。

 

一見、「偶然」に見える二つの出来事は
実は偶然などではなく繋がっていて

「起こるべくして起きている」というのです。
ユングの言葉を借りるならば、「意味のある一致」というわけ。

 

東洋哲学では、私たち人間同士、
そして私たちと自然、自然の生物、

究極的には宇宙との間にも見えない“つながり”が存在していて、
それこそが、“本質”(=リアリティー=実相)であると考えます。

 

それは日本も例外ではありません。
日本では、「八百万の神」といって、

自然界のあらゆるところに神が宿っていると考えます。

 

それはつまり、神々が様々なものに姿を変えているということであり
だからこそ、自然の木々を大事しなければいけない、

自然の生き物を敬わなければいけない…
という教えにつながっていくのです。

 

日常の中の“共時性”

日常生活の中でも、
いわゆる“共時性”を連想する体験をすることは多いもの。

 

例えば、メールしようと思っていた相手から電話がかかってきたり、
噂をしていた人が、実はその日に亡くなっていたり。

ちなみに筆者は、母から送られてきたリンゴを腐らせてしまった日に
母が乳がんに罹患したという連絡を受けるという体験をしました。

 

こうした体験について振りかえって考えてみると、
やはりそこには、単なる偶然では片付けられない“何か”を感じます。

あり得ない!と言う方もいるかもしれませんが、
偶然を超えて人間の“内的な要素”が外的世界に影響を及ぼす

…ということがあり得るのではないかと思えてくるのです。

 

実際、心の不調は、肉体にも影響を与えますよね。
ユングやタオの思想は、この段階から一歩進んで、

 

「自分の外側の“外的な物質世界”にさえ、影響を及ぼすことがある」

 

という考えに基づいています。

 

「あり得ない」「科学的じゃない」とおっしゃる方も、
ちょっと考えてみてください。

例えば、非常にイライラした精神状態で車を運転すれば、
冷静な時に比べて運転が荒くなったり、

確認がおろそかになったりしがちですよね。
その結果、普通の状態の時に比べれば

事故を起こしやすくなるかもしれません。

 

家族の1人が精神的に不安定な状態にあると、
連鎖的に家族も不安定になって

不登校や引きこもりなどの原因になる…というケースも多いですよね。

 

これはつまり、人の内面が
外界に影響を及ぼしていることになるのではないでしょうか。

つまり、意識する・しないを問わず
実は私たちは、ユングやタオの思想を“地”で体験しているのです。

 

そう思うと、「小難しい」と敬遠されがちなユング心理学や
東洋思想(タオ)に対しても、

ちょっと親しみを感じられるのではないでしょうか?

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